雛菊譚

気紛れ雛菊の真面目なブログ

自死の道を選んだ魂との会話

最近、とても悲しいニュースを耳にしました。

 

テレビに映る若くて愛らしい女性の笑顔を見た途端、心が締め付けられました。どんな思いで命を絶ったのだろうか、と…

 

これはわたしにとってとても珍しいことです。

 

メディアを通じて自死した人達の悲報を知ることは、それほど珍しく無い世の中になったように感じます。

 

東京に住んでいた頃は、毎日のように人身事故による電車の遅延情報が流れてきました。

 

わたしにとって『自殺』という言葉は、おぞましい響きを持ち、声に出すことが困難な言葉の一つです。

 

けれど、今や『自殺、自死』という言葉を誰もが躊躇せず口に出せるほど、軽い言葉になってしまったように感じます。

 

霊的能力を持つわたしにとって、『自死』というテーマは出来る限り避けて通りたい苦手な分野でした。

 

けれど、自死を選んだ人たちの死後の世界を知りたい、という探究心は常にわたしの中にありました。

 

沢山の本を読みました。

凡ゆる宗教の教理を学びました。

 

けれど、納得のできる答えは見つかりませんでした。

 

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そんなある日のこと。

 

当時わたしがレイキヒーラーとして活躍していた時、ヒーラー養成講座の受講生として現れた女性がおりました。

 

その日、わたしと彼女は初対面同士にも拘らず、意気投合し色んな話をしました。

 

その中で突然彼女がこんなことを話し出したのです…

 

「本当は今日はキャンセルしようか迷っていたんです……実は……今朝、いとこが亡くなったんです……自殺でした」

 

ここまで話を聞いたわたしは、彼女が部屋に入ってきてからずっと見えていた見えない存在のことを打ち明けました。

 

「あのね、あなたの膝の上にずっと可愛らしい顔をした少年が見えていたの…勝手にあなたの未来のお子さんの姿だと思っていたんだけど…いとこさんの話を始めたら見えなくなったの」

 

すると彼女は興奮気味に言いました。

 

「それは亡くなったいとこだと思います。大学生なのに中学生に間違われるくらいの童顔なんです」

 

どうやら彼女はいとこさんを連れていらしていたようです。

それもそのはず、わたしは彼のメッセンジャー役を果たさなくてはならなかったのです。

 

彼女のいとこさんは、その春卒業予定の男子大学生でした。

しかし、なかなか内定が決まらず、苦しんでいたそうです。

とはいえ、本当の原因は本人にしかわかりません。

苦しみというのは、本人にしか分からないもの…それくらいで死を選ぶなんて、とは絶対に言ってはならないのです。

 

彼が亡くなるその日の朝、同居するお母さんの、朝食の用意ができたよ!との呼びかけに、元気な声で応えていたそうです。

しかし彼が食事の席につくことはありませんでした。

二階の部屋にいるはずの彼は庭の物置の中で息絶えておられたそうです。

 

わたしは、彼女が話すこの話をまるで子供のようにわんわんと泣き叫ぶ彼の声を聞きながら、聞いておりました。

 

彼女が一通り話し終わった時、わたしは漸く泣き叫ぶ彼の言葉を聞き取ることができました。

 

「こんなはずじゃなかった!!こんなに苦しいのなら、生きていた方がマシだった!!こんなにみんなが悲しむと思わなかった!!ごめんなさい、ごめんなさい、僕が死んだらみんなが楽になると思ったんだ!!」

 

わたしにはもう彼の姿は見えません。けれど、彼の泣き叫ぶ声と、後悔の念が苦しいほど伝わり、一瞬、自分の意識と彼の意識が同化して、パニックに陥るほどでした。

 

わたしにとって、亡き人の声を、しかも自死した人の声をこれほどリアルに聞くなんてことは初めてでした。

 

けれど、彼のお蔭で自死を選んだ魂の死後の世界を知ることができました。

 

怖れながらも彼に、わたしに出来ることはないか?と訊いてみました。

 

すると「お母さんに悲しまないで、泣かないで、と伝えてほしい」という想いが伝わってきました。

 

わたしは彼との約束を守るべくすぐに彼の言葉を彼女に託けました。そして、とにかく安心してほしい、と祈りながら伝えました。

 

その時のわたしに出来ることは、それくらいしかありませんでした。

 

その日以来、わたしは彼への供養の如く、縁ある人にこの話をしています。

 

「こんなに苦しいなら、生きていた方がマシだ!!」

 

わたしは彼のこの言葉から沢山の教訓を得ることができました。

 

『死んだら終わり』という思想を持つ人に、それは間違っている、とは申しません。けれど、彼の言葉を聞いてしまったわたしには『肉体は滅んでも魂は生き続ける』『死んでも終わらない』としか申せません。

 

どんなに苦しくても生きてさえいれば、必ずこの苦しみを超えられるのだから…

 

終わらない苦しみなんて存在しない。

終わらない苦しみが存在するのだとしたら…それは自分で生み出しているだけ。

 

自死を選んだ彼の言葉はわたしの中で今も煌々と輝いています。

 

彼の自死は決して無駄ではありません。

無駄にしてはいけないのです。

 

それから…何故、彼の自死の話を詳細に述べるのか、と疑問を感じた方もいらっしゃるかもしれません…

 

その理由は、遺族の方々の重荷を軽くしたいという想いからです。

 

彼が生命を断つまでの流れを見てお分かりのとおり、家族が彼の死の意志を感知することは不可能だったのです。

 

そして、彼の言葉の通り、家族を、自分の大切な人を愛するが故に死を選ぶこともあるのです。

 

死者の声を聞くことは誰にでも出来ることではありません。

 

わたしとて、好き好んで死者の声を聞きたいとは思いません。

 

けれど、今回のように、死者と生者の伝言役、媒介役として活躍できるなら、これほど嬉しいことはありません。

 

そして、自死の道を選ばなければならないほど戦い抜き傷ついた魂と、自死により愛する人を失った方々の心が癒えるように、心を込めて祈りを捧げます。

 

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誰もが愛し愛される権利を持ってこの世に生まれてきたことを、どうか忘れないで…

 

 

何者でもないワタシを求めるモノの正体とは?

毎度のことではありますが…

 

突然「行かなきゃ!」という自分の意思に反する衝動に駆られ、そしていつもの通り理性は衝動に勝てず、為すがままにわたしはかの地へと走ることとなる。

 

こういう事が年に数回起こるのが恒例となっております。

がしかし、令和の時代に突入して以来、頻度が増しているように感じます。

(そういえば、令和は霊和でもあるという話を耳にしたことがあります。つまり、霊と和する時代ということですね!素敵です)

 

さてさて、今回わたしが足を運ぶことと相成りました場所は、自宅から遠からず近からずの地の利のある場所ではあるものの、グーグルマップでも大きく拡大しなければ現れないお宮さんでありました。

 

ざっくり言えば、山の中の秘密の神社、であります。

 

人間にとって、秘湯とか秘宝とか、とにかく『秘』という文字は『期間限定、数量限定』に比肩する、人間の煩悩をくすぐる魅惑の言葉ではないでしょうか。

 

なぜならば、秘湯にしろ秘宝にしろ(期間限定、数量限定品も然り)頭に『秘』のつくモノは、ちょっとやそっとじゃ手に入らない『非常に価値あるモノ』だからです。

 

いやしかし、それは本当に『価値あるモノ』なのでしょうか?

 

それが数億円の価値のある幻のダイアモンドであっても、宝石に一切興味のない者にとっては唯のキレイな石に過ぎない。

 

それと同じように、わたしにとって今回行きついた『秘密のお宮さん』は誰かの『通りすがりに見つけたなんてことのないお宮さん』かもしれないのです。

 

ならば、そのお宮さんの場所と名前を記しても良いのではないか?みんなに紹介しても良いのではないか?と思われるでしょう。

 

そうなのです、今までわたしはブログの中で沢山の神社仏閣を紹介してまいりました。それは、一人でも多くの人に、プラスの情報を知っていただきたかったからです。

 

けれど今回は違うのです。

こんな感覚は初めてです。

 

このお宮さんは、普通の神社とは違うのです。

 

ただ単に地場エネルギーが人間の身体には強すぎるとか、懲罰を与えるような厳格な神様だとか、そういうのではなく…

 

とにかく今までに体感したことのない波動を感受し、数多の怪奇現象、神秘体験を経験したわたしでさえ、理解不能の境地に至ったということ…これはわたしにとって久々に訪れた驚異であります。

 

実はそこで宮司さんの奥さんと小一時間お話をさせていただいたのですが…その奥さんとの会話の中で何度も驚かされることがありました。

 

中でも一番印象に残っているのは、何者かも知らない初対面のわたしに、奥さんは滔々と流れるように『見えない世界の話』をされるのです。

 

わたしは深く感動しました。

 

未だにブログの中でさえ、不思議な経験話を公にすることが憚れるわたしの前で、奥さんは至って当たり前の如く平然と話されるのです。

 

たしかに、奥さんの霊的能力はかなりのものであると察します。ゆえに、すべてを見通されていたのかもしれません。いや、きっとそうでしょう。

 

わたしはその日、雨の予報が出ているにも拘らず、衝動という直感に委ね車を走らせました。しかし、雨に濡れることもなく山の中で静かに話をすることができました。

 

帰り道、そこで起きた事のすべてが神に仕組まれていたのだと感服すると共に、終わりの始まりを感得しました。

 

『探さなければ見つからないモノは、大したものじゃない』とはいつか読んだ小説の中で見つけたセリフ。

 

たしかにたしかに。

 

今回わたしは、目に見えない存在から呼び出しを受け、拒否することのできないとてつもない課題を託された気がしてなりません。

 

何も求めない何者でもないワタシを求めるモノの正体は…この世の言葉で表現することは今のワタシには出来ません。

 

それはきっと五感を超えた、

最も遠く最も近い場所で感じるモノ、なのでしょう。

 

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今、窓の外では風が唸り声を上げて吹いております。

龍神さんが御活躍ですね!

 

最後までありがとうございました(*^^*)

 

 

雛菊奇譚・亡人との遭遇

はじめに、このお話は筆者の経験談であり100%実話であり、いわゆる怪談話のような恐怖心を煽るような演出は入れておりませんが、この手の話が苦手な方はどうぞお控えください。

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わたしが二十歳を迎えて間もなくの頃のお話です。

 

当時わたしは、以前生徒として通っていた英会話スクールの受付でアルバイトをしておりました。

 

その英会話スクールは大阪の繁華街から少し離れた路面に面したテナントビルの一階にありました。

 

近隣にはファッションビルやホテルが屹立し、昼間はビジネスマンや買い物客で賑わっておりました。

 

中には少し離れた場所から、全面ガラス張りのスクールの中の様子を立ち止まり伺う人も少なからずおりました。

 

けれど、外から凝視されようと、

中で働く私たちは大して気にすることはありませんでした。

 

アルバイト先のスクールでわたしは、生徒として通っていた頃と同じ、顔馴染みのスタッフと共に働くこととなりました。

 

わたしのことを妹のように可愛がってくれる先輩スタッフ達とのアルバイト生活はとても楽しく、そして充実していました。

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そんな楽しいアルバイト生活を送っていたある晩のこと。

 

以前スクールで働いていたサイモン(仮名)というアメリカ人男性講師から突然自宅に電話がかかってきました。

 

わたしは瞬時に『電話番号はどこで手に入れた??』と頭に疑念が浮かびましたが、直ぐに『きっと先輩スタッフが教えたのだろう』と、自己解決し、直接彼に問いただすことはしませんでした。

 

そして肝心のサイモンからの電話の内容は…

 

『大阪の港区でナイトクラブをオープンしたから遊びに来て欲しい』とのこと。

 

そういえば、彼とのレッスン中、音楽の趣味が同じで話が盛り上がっていたことがあったな、それで誘ってくれたのかな、と素直に誘いの電話を喜びました。

 

わたしは早速友人を誘って、彼のお店を訪ねました。

 

店内はテレビの撮影に使われるほど、装飾を凝らしたお洒落なお店でした。

 

けれど、訪問した夜は、私と友人を含めて5人ほどしか居らず、だだっ広い店内に爆音のBGMが寂しく流れる居心地の悪い場所だったと記憶に残っています。

 

そんな居心地の悪いお店ではありましたが、すぐに帰ってしまっては失礼だと思い、終電ギリギリの時間まで、そこで過ごしました。

 

帰り際に、サイモンは奥からとても綺麗な日本人女性スタッフを呼んできました。

 

サイモンはその女性と二人でこのお店をオープンしたのだと、嬉しそうに話してくれました。

 

仲良さげに並んだ二人は満面の笑顔で私たちを送ってくれました。

 

大好きな日本で素敵な女性と出逢い、自分たちのお店を持つことのできたサイモンに幸あれ!と、心から祝福したことを今でもよく覚えています。

 

それから後も、わたしは引き続き英会話スクールでアルバイトを続けておりました。

 

なのになぜか一度も、サイモンの話をスタッフにすることはありませんでした。

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そんなある日の午後のこと。

 

わたしはいつもの通り、受付で仕事をしておりました。すると、何やら異変を感じるほどの視線を感知しました。

 

すぐさま外を見ると、スクール前の歩道の電柱の傍に、こちらをじっと見つめるサイモンが立っておりました。

 

わたしはすぐに、スクールに顔を見せにきたのだと思いました。

 

『様子なんか伺わずにすぐに入ってきたら良いのに…変なの』

 

『ん!?でもなんであんな変な格好してるの??』

 

わたしはすぐにその奇妙なサイモンのことを先輩スタッフに伝えようと、声をかけました。

 

「そこにサイモンが来ているんだけどね、変なの!レーサーみたいなド派手な革のつなぎを着てヘルメットを抱えて、ずっと立ったまま動かないの!!見て見て!!」

 

「え!? 何言ってるの?」

 

その数秒のやり取りの間に、奇妙な格好のサイモンは消えておりました。

 

その後のスタッフとのやりとりです。

 

「雛菊ちゃん、本当にサイモンだった?」

 

「うん、絶対にサイモンだった」

 

「雛菊ちゃん、あのね…」

 

先輩スタッフが、机の引き出しの中から一枚の新聞の切り抜きを取り出し、わたしに見せてくれました。

 

二つ並んだ楕円の中にサイモンと見覚えのある女性の顔がありました。

 

スタッフの青ざめた顔と、紙面のサイモンと女性の顔写真…それだけで記事を読まずとも真相を知るには十分でした。

 

記事によると、深夜国道を走っていた大型トラックの運転手が、ルームミラー越しにバイクが倒れているのを目撃し、通報したのだそうです。

バイクからかなり離れた場所に(後方)、二人の男女が倒れていて、どちらも即死だったそうです。

 

そして、バイクを運転していたのは男女のうちどちらかは分からないと書かれておりました。

 

わたしは新聞の切り抜きを見て、たくさんの疑問に襲われておりました。

 

事故への疑問もさることながら、一番疑問に感じたのは、どうして先輩スタッフはわたしにこの話をしてくれなかったのかということでした。

 

実はわたしが霊感体質であることは、先輩スタッフ達の間では周知であり、また、先輩スタッフのひとりも、極度の霊感体質でした。

 

わたしにサイモンの事故死を知らせなかったのは、その霊感体質の先輩スタッフの配慮からだったそうです。

 

それから、サイモンにわたしの電話番号を教えたのはスタッフではありませんでした。もちろん、わたしでもありません。

 

わたしはその日、暇を見つけては、新聞の切り抜きを何度も何度も読み直しました。

 

自分の中で、何が現実で、何が非現実なのかを判別するために確実に現実である活字を肉眼で追いました。

 

わたしの肉眼が捉えたサイモンの姿は、現実に生きる人間とまったく同じ人間でした。

 

しかしわたしが見たサイモンは、確実にこの世のサイモンではありません。

 

つまりわたしが見たサイモンは『生きている亡人』だったのです。

 

不思議とわたしは恐怖と無縁でいられました。

 

それはきっと、生まれながらの霊感体質のおかげでしょう。

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わたしはそれから間もなくして、アルバイトを辞めました。

 

以来、わたしがサイモンのことを思い出すことはありませんでした。

 

なのに、約一週間前からずっと『サイモンの話を書かなければ!』と無意識がわたしに訴え続けておりました。

 

わたしはこの訴えをずっと無視し続けておりました。

 

けれどもう観念いたしました。

 

なぜサイモンの話を書き残さなければならないのか、よくわかりません。

 

(このサイモンの事故死に関しては、永遠に解決する事のできない謎が多く残されています。)

 

けれど、わたしの人生にとり、この不思議な体験は必須だったのだと思っております。

 

わたしは常日頃から、『電車の中で隣に座った人が人間とは限らない』と、無意識に娘に話しておりました。

 

それはつまり、生きている亡き人サイモンの如く、人間の姿に化けた妖怪であったり、はたまたエイリアンが私たち人間の世界で暮らしているのではないか。そして、オバケなんかいるもんか!エイリアンもUFOも作り話だ!と、自分たち人間以外の存在を認めないことが、自分たちの首を絞めることになるんだよ、と潜在意識がわたしに教えてくれていたのではないか、と。

 

事実、わたしにとって見えない存在たちは、見える人間よりも遥かに頼りになる存在なのです。

(勿論、人間と同じく信頼に値しない存在もおりますが…)

 

そんな頼りになる、親愛すべき見えない存在達と私たち人間は遥か昔からずっと共に生きているのです。

それはまるで私たちの目には見えない土や海の奥深くに生きる生物たちと同じように感じられます。

 

見えない存在になったサイモンは『どうか怖がらないで!どうか僕たちの存在に気づいて!』とわたしの指先を使って、メッセージを送りたかったのかもしれませんね。

 

最後までありがとうございました。

 

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生きても地獄、死んでも地獄、否、生きて極楽、死んで極楽

『明けない夜はない』と人は言う

 

しかしわたしは『明けない夜』があることを知っている

 

『死んだ方がマシ』

この程度の弱音なら、世界中の誰もが一度は口にしたことがあるはず

 

けれどわたしは『死んでマシになること』などこの世にもあの世にも無いことを知っている

 

明けない夜の世界とは、まるで四方八方真っ暗闇、上も下もわからない、どこを見回しても一点の光も見えない真っ暗闇

もはや目を開けているのか、それとも眠っているのかさえわからない

 

救いをの声をあげようにも、声を発する気力さえない

 

仮に救いの手が差し伸べられたとして、それで救われることなど皆無の世界

 

神も仏もない世界

 

あるのは胸を引き裂く苦しみと巨大化し続ける絶望感だけ

 

生きても地獄、死んでも地獄

 

肉体を滅ぼしたとて、魂は未来永劫生き続けることを知っているわたしに残された道は、この『明けない夜の世界』の中で終わることのない地獄の苦しみを舐め尽くすだけ

 

しかしわたしはいつしか『明けない夜の世界の住人』として苦しみに耐えるのではなく、苦しみと共に生き続けなければならない我が運命に観念しておりました

 

これは所謂『諦観』というものでしょうか

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それから間も無く、ガチガチに硬くなっていたわたしの身体がユルユルと柔らかくなっていたことに気がつきました

 

ずっと硬く握られていた拳の中から、五本の指があらわれました

 

四六時中悩まされていた、薬の効かない頭の痛みも雲散霧消、きれいに消えておりました

 

閉めっぱなしのカーテンを恐る恐る開けてみました

 

そこには見たことのない青色の空が広がっておりました

 

きっとそれは、今までと同じ、いつもの青色だったに違いありません

けれど、それを見るわたしの目が生まれ変わっていたのではないか、と思いました

 

そして生まれ変わっていたのは目だけではなく、わたしの細胞、遺伝子までもが生まれ変わっていたのではないか、と大袈裟だけど当然のように思えました

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『生きても地獄、死んでも地獄』の日々を超えた先にあったのは

『生きて極楽、死んで極楽』の日々でした

 

そしてなぜかそれは永遠に失うことのない『極楽』であると断言できるのです

 

なぜならば、わたしの得た『極楽』はわたし自身が創り上げ、手に入れた極楽であり、『試練を乗り越えた者への神からのご褒美』といった類のものではないと判別できるからです

 

人は悪を排し、苦行に励み、陰徳を積み、無償の愛を呈し、神を崇拝していれば、いずれ神が楽園へ誘ってくれる、と信じて生きてきました

 

しかしそうではない、とわたしは考えるようになりました

 

幸せな生活も、幸運も、健康も、愛情も

わたし達一人ひとりの幸せは、自分以外、誰も与えてはくれないのです

 

もちろん、家族の笑顔に励まされたり、恋人の優しさに癒されたり、はたまた臨時収入に嬉々したり…それは私たちにとって必要不可欠な幸せのカタチです

 

けれど…本当に自分が求めている幸せは、自分の手で手にするしか無いのです

 

そしてもう一つ忘れてならない事。それは、知らないうちに積み重ねてしまった罪や過ちを清算するのも、自分しかないということ

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わたしのように『明けない夜の世界』の中で地獄の苦しみを自ら望む人は、きっといないでしょう

 

ですが、

 

悪魔でさえ逃げ出すほどの地獄を経験した『魂』は、たとえ再び地獄に舞い戻ったとしても、一瞬にして地獄を極楽に変えることができる『究極の魂』と成ることができるのです

 

かつてのわたしは、欲しいものがたくさんありました

理想の自分像というマヤカシに魅入られたわたしは、湯水の如くお金を使うことで虚栄心を満たしていました

 

けれど、どれだけお金を使っても、どれだけ多くの人に贔屓されても、心は荒み、孤独感と虚無感は増すばかりでした

 

つまり、わたしの経験した『地獄』はわたし自ら創り上げた『罰』だったのです

 

しかしそれは同時に『神の愛』の顕れでもあったのだと思っています

 

神様の計画はいつだって完璧だから

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かつての醜い自分の姿を映し出すことのできなかったわたしの心の鏡は、罪の意識で汚れきっていたのでしょう

 

汚れきった自分の姿を直視することは、まさに地獄でした

 

けれど、その地獄を経験しなければ、真の幸福にたどり着くことは、絶対に不可能なのです

 

そして、ひとにとって真の幸福とは、

『幸せだけでなく不幸せも、何もかもに感謝できる心の状態』なのだと究極の魂は教えてくれました

 

コロナ禍の中で、わたしは一度も不安を感じたことがありません

不満もありません

なぜならすべてに感謝し喜びを感じることができるからなのです

 

だから365日どんな時も、わたしは幸福であり続けることができます

 

市井の人たちに羨ましがられるようなもの、自慢できるものは何一つ持っておりません

 

けれど、わたしはいつもありあまるほどの愛で満たされている、と実感できるまでに成長できました

これ以上の幸せはない、と感謝するばかりです

 

禍いを転じて福と為す

 

すべての人たちにこの世の楽園が一日も早く訪れますように、と祈り続けます

 

おわり

 

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雛菊のひとり言・未来は「今」作られている

わたしは毎夜、寝床に着く前に必ず手帳に『今日の出来事』を記すことを忘れないように心がけている。

 

がしかし、必ず三日に一度、書き記すことを失念してしまう。

 

はて?何をしていたか?

 

空欄の中の『昨日の出来事』を頭の中から引っ張り出そうと試みる。

 

うーん、わからんっ!

 

わたしにとり、空欄の中の昨日の出来事は些末な出来事であり、それはつまり、過去に興味のないわたし自身を投影するが如くであるのでございます。

 

過去に興味がないと申しますのは、

それはつまり、わたしの意識の中で常時『現在過去未来』が一つであるからなのだと察します。

 

過去も未来も飛び越えて、『今』に集中して生きることができるようになった時、過去の苦い思い出も、未来への不安もすべて見事に雲散霧消と相成りました。

 

心に澱む『不安感や悲壮感』が極限に達した時、世界を恐怖に陥れる災禍が起こるのだとわたしは考えております。

 

身の回りにある物だけで十分に生きることはできる。

仮に、今まであったものが無くなってしまった場合でも、知恵さえ使えば、何とでもなる。

 

幸か不幸か(私的には幸に決まっている)私たち日本人の大半が震災を経験し、そこから生きるための知恵と精神力を会得することができました。

 

恐怖と不安を幾度となく乗り越えてきた私たち日本人が、今こそ海の向こうの人たちにお手本を見せるべき時がやってきたのではないか!と、不謹慎かもしれませんが、筆者の心は高揚しております。

 

過去よりも今が大切

未来よりも今が大切

今が一番大切なのです。

 

なぜなら、未来は今作られているから。

 

困った人がいたら助けてあげる。

助けてもらったら恩返しをする。

だけど、自分のできる範囲でね。

 

雛菊は今日も明日も未来永劫笑顔で、世界の安寧を祈り続けます😊

 

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雛菊のひとり言・雲外蒼天

穏やかな陽光とたなびく春霞の空

或いは白く煌めく銀河の流れる夜空

眼前に広がるそれらを前に 誇れる程の翼を持ちながら

今は翔ぶことができない

だがね 救いはある

空はこの先も揺るぐことなく存在するはずだから

今は捲土重来の空へと思いを馳せ 静かに待つことにするよ

 

名著かもめのジョナサンのJ・シーガルの台詞。

 

わたしの纏まらない想いを見事に代弁してくれていた。

 

ただそれだけのことだけど

 

なぜかとてもしあわせな気持ちになれたからここに記したくなりました。

 

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雛菊のひとり言・大難を小難に変える為の苦渋の選択

荒れ狂った世の中に見せかけて

真実まだまだ序ノ口なのか?

 

歓天喜地に沸く影の無い聴衆たち

 

寝る間を惜しんで手に入れた幸運の鍵

 

大自然の恵みを貪り尽くし

神を冒瀆し続けた我々人類に課せられた再起の道(苦難の道)はまだ始まっていないのかもしれない

 

命をかけて手に入れた幸運の鍵

 

それを捨てなければ再起の道は始まらない、と感じるのはわたしだけだろうか

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